知的生活の方法
知的正直
知的正直というのは、わからないのにわかったふりをしない、ということにつきる
子供の将棋:ごまかす、ズル(≒わかったふり)をする人は成長しない
恩師も、有名な学者の意見でも「何を言ってるかわからぬ」とはっきり述べた
「わからない」ということを怖れなくなった
子供の時は面白いと思うものしか読まなかったから、偏りが酷かった
上京2年半にして「東京」を感じた以来、漱石の小説がおもしろくなった
中学や高校で漱石を読むと「みんなが漱石と騒ぐけれども大したことはなかったよ」と、漱石がわかる知識や人生体験ができた頃には、漱石に手を出さないということになることが多い。
子供の時に「本当に面白い」と思ったその感じを忘れてはいけない。
自由時間に読む小説に「意志」や「お付き合い」はいらない。
漱石を読んだ時にその感じが出たら、自分自身のために祝杯をあげれば良い。それは明白な知的向上を示すものだからである。
本当に面白いと思わないものを、面白いなどという振りをしてはいけないのだ。他人に対しても自分に対しても。特に自己を偽ってはならない。自己の実感を偽ることは、向上の放棄に他ならない。
巨人、大鵬、卵焼き
私はハンバーグの好きな子供が好きだ。漱石にしろ芥川にしろ・・成人になってその味が分かる年頃になってからでも遅くない。
ところが成人になった頃にはそういう本格的なものを読む人が少ないのがむしろ日本の読書界の欠点なのではないか。
先走って大人の読むような傑作を子供の読書指導などで勧めることが、大人になった日本人の読書生活を乏しいものにしているのに関係があるのではないだろうか。
読書の、つまり知的生活の真の喜びは、自己に忠実であって、不全感をごまかさないことを通じてのみ与えられるもののようである。
「本当にわかることを重んずる」という心構えは、「わかることを怖れる」というノイローゼ的な段階に至りやすい