関ヶ原(上) 01
秀吉譜代の大名
秀吉の五奉行
分不相応なもの
大和の筒井順慶の侍大将。合戦と謀略の天才。
琵琶湖沖、巨大な城、仕上げ壁を塗らない、島が設計した実戦を想定
家康の謀将
家康の4つ上、謀友
家康の陪臣。
合戦上手、もの柔らか、家康の唯一の寵童。
ねね
秀吉の正室
北政所党 上記2人+蜂須賀家正、加藤嘉明、秀吉の功臣:細川忠興、池田輝政、黒田如水
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(これが関ヶ原の起こり?)
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近江伐
朝鮮出兵の現場と、監督(三成)の数々の 讒言が原因
豊臣政権が安定すると、合戦専門の武辺者よりも行政手腕のある者を重用した。
家康が諸侯を招待
九州征服戦の指揮者が義久、朝鮮の泗川の合戦指揮者が義弘。どちらも猛者。
三成とは島津討伐の頃からの関係
家康は縁談をすすめた
藤堂高虎は主君をたびたび変える武士、主家を自分で選ぶ男。武勇。
外様だが徳川家からは譜代並みに扱われた。
鳥羽伏見では徳川を裏切る。
家康の作戦、豊臣家を2つに割る。
互いに抗争させ、一方に乗っかる作戦。
加藤清正、福島正則を味方にすれば、豊臣を見捨てないと思われる
三成は正義感が強かった。が、
人は利害で動いている。正義で動いているわけではない。
乱世は強弱で動く。善悪では動かぬ。