推し、燃ゆ
芥川賞は自分には難しい
芥川賞を読むのは久々。
毎回思うけど、文学センスが無いので純文学の良し悪しが自分では判断できない。
どの作品も表現の豊さを感じるが、普通に作品を楽しもうとすると少し疲れる。
本作も心情描写が巧みで、よくこんな表現を考えつくな、と感心してしまう。
では、なぜこの作品を手に取ったのか。
もう設定が抜群、タイトルで惹かれた。
自分にもかつて推しがあった。
だから推しの喪失感はわかるつもりだ。
最も印象的だったのは、
主人公は、推し活の中では、かなりまともだったことだ。
時に熱狂的なファンは推しの私生活にまで入り込もうとするが、
主人公は距離を保ち、推しが炎上しても理解しようとし信じ続ける。
普段の生活が、まともとは言えないのが対照的だ。(発達障害的な病)
推しがある世界ではまともに生きれて、
推しがない世界では生きれないのか。
推しがあったからこそ、
狭くてもその周辺だけではまともに生きてこれたのか。
「推しは私の背骨」
どちらにせよ背骨が失われた後どうなるかに余韻を残す。